
家具デザイナーの小泉誠さんが、
アンティークが好きなIさん親子の家に会いに行きました。
家に会いに | 2010.3.16

「無印良品の家」に寄せて | 家具デザイナー 小泉 誠さん
「窓の家」を訪ねて
僕が「家」を見る時は、普通の生活者としての視点よりも、どうしてもデザイナーとしての見方が先行してしまいます。往々にして欠点が先に気になるのですが、今回、実際に建てられた「窓の家」を初めて見て、むしろ潔さに感心することも多かったように思います。「窓の家」という名前だけあって、特に窓の考え方と収め方には共感できました。
ですから、僕が「窓の家」で暮らすならというよりも、「窓の家」の窓を住宅に使うなら、という目で見てしまいますね。
建築を考える時に、僕が窓に求めるものは光が漏れ、風が通り、気配が伝わってくる「開口」で、そこにガラスがあるかないかは機能的な問題でしかありません。「窓の家」はそれと同じ考え方で、窓を建築に開けられた四角い穴と捉え、暮らしの道具としての窓に求められる機能や性能は、できるだけ目立たないようにうまく収められています。
家は人が暮らすための道具であり、私たちはその道具に入り、包まれて暮らしています。道具としての洋服が大きくなったイメージに近いかもしれません。道具は機能しなければなりませんし、同時に暮らしの背景としての大らかさも必要です。また、生活者が自ら関与できる余地が多いことも大切です。家の中で感じられる情報量や目に入るモノの量を、これくらいがちょうど良いと思うバランスで止める加減が設計者には求められると考えています。過剰な引き算でただの白い箱にするのではなく、必要なものを加えていく足し算の加減です。
「窓の家」はこうした「暮らしの背景」としてのバランスがなかなか良いと思いました。先に挙げた窓もそうですが、ドアノブやメーターカバーなど一つ一つのパーツの質が高く、しかし主張を抑えた佇まいで、つくり手が丁寧に選んでいることが伝わってきます。おそらく、建築家やデザイナーの中には、「窓の家」で使われているパーツを自分の設計で使ってみたいと思う人も現れるのではないでしょうか。こうしたパーツの意匠や収まりから感じられる「無印良品の家」の意識の高さには感心しました。[2010.3]